だいたいこういう教室のサイトには、理念が書いてあります。
ですが、僕は42年も生きてきて、理念というものを考えたことがありません。
なので、「こんなカウンセリング教室にしていきたいな~」というものを3つ、理念としてお話ししたいと思います。
まあ、理念なんて漢字で書くとすごく堅苦しいのですが、気楽に読んでもらえたらうれしいです。
カウンセリングを学ぶ障害になる物の一つは、「学び始めるときの心のハードルが、すごく高い」ということです。
カウンセリングを学んでみたいとまわりの人にいうと、こんな反応が返ってくるそうです。
「え?カウンセリングを学びにいくの?
それって将来、カウンセラーになりたいってこと?
大丈夫~?
カウンセラーの仕事って、すごくしんどいらしいわよ。
相談に来た人のマイナスに引っ張られて、あなたのほうがしんどくなるんじゃない?
だって、あなたメンタル弱いじゃない。
それに、資格を取ってもほとんどの人が食べていけないらしいわよ。
それなのにカウンセリングを勉強するなんて、意味あるの?」
どうやら多くの人が、まわりからこれをいわれるそうです。
もう18年くらい前になりますが、僕自身もカウンセリングを学びはじめたとき、同じようなことをいわれました。
これ、本当に面倒くさいです!!
しかたがないのでその場をやり過ごすために、「いや、まあ、コミュニケーションって大事だし、いまの仕事で役立てばいいかな~って思って…」といって、お茶を濁していました。
カウンセリングを勉強したいだけなのに、なんでこういう余計な一言をいう人がいるんでしょう。
「趣味で陶芸をやろうと思うんです」といって、「へ~、陶芸家になりたいんだ~」といってくる人はいません。
でも、なぜかカウンセリングを学ぼうとすると、「え?カウンセラーになりたいの~?」と、ちょっとにやついた顔でいってくる人がちょくちょくいます。
こういう言葉で、一体どれだけの人がカウンセリングを学ぶのをやめたのか。
そういう言葉で、一体どれだけの人から充実した体験を奪うことになったのか。
それを考えると、本当にもったいないと思います。
カウンセリングって、本当に楽しいです。
それにまつわる心理学の話も、本当に面白いです。
そして、カウンセリングを学ぶからといって、全員が仕事にしなきゃいけないわけじゃありません。
「一つの趣味として、カウンセリングをやる」。
それはとてもいいことだと、僕は思います。
趣味としてカウンセリングや心理学を学んでいく中で、自分の思考のクセに気づけた。自分自身の問題点に気づけた。
その結果、職場やパートナー、家族との人間関係が改善した。そういう人も本当にたくさんいます。
それはそれで、すごくいいことだと思います。
そして、学んでいくうちにその面白さにハマっていきそれが仕事になれば、それは本当に素晴らしいことです。
そうなれば、それは一つの理想例かも知れません。
ですが、なにかを学ぶのに、「○○の役に立つから~」なんて理由づけが、本当に必要なんでしょうか?
なにかを学ぶのは、それ自体が楽しいからです。
なにかを学びたくなるのは、それ自体に興味があるからです。
もし興味があるのなら、それを一度はやってみた方が、充実した人生になるはずです。
僕は38歳のころ、太極拳教室に1年半ほど通いました。
すっごく楽しかったです!!
すっごく充実した時間だったし、太極拳を学んだことは僕の人生の宝物の一つです。
(当時、本の締め切りを抱えてやめてしまった…。いつかまたやりたいことの一つです)
そんな太極拳が、僕の人生にとってなにか役に立ったかというと、なんの役にも立っていません。
それで仕事が増えたわけでもないし、夫婦仲がよくなったわけでもありません。
多少、運動不足は解消されましたが、ダイエットになるようなものではありません。
おそらく僕は、一生悪者に襲われることはないでしょうし、太極拳を使うことはないと思います。
でも、すっごく楽しかったのです。
大人になってからなにかを学ぶって、それでいいのだと思います。
いや、人間がなにかを学ぶというのは、本来、そういうものなのです。
なにか興味があることがあって、それを知りたいという知的好奇心が湧いてくる。
それは本来、人間が自然に持っている「知性」です。
これを読んでいるあなたが、もしカウンセリングや心理学を学んでみたいと思っているなら、それはあなたの知性がざわついているのです。
だから、カウンセリングを学ぶのに必要なことは、「カウンセリングって、実際はどんなものなのか興味がある」。
その気持ちだけで、十分です。
そして、その気持ちさえあれば、カウンセリングを楽しむことが出来ます。
役に立つとか立たないとか、そんなことはどうでもいいんです。
なにか趣味をはじめるのに、「これからの日常生活に、なにか役立つだろうか…」なんて考えるでしょうか?
「やってみたいからやる」。
本来、趣味とはそういうものです。
「カウンセリングを学ぶのだから、実際の役に立つ物でなければ、やる意味がない」。
こういう考えこそ固定観念、枠にとらわれた考え方なんじゃないでしょうか。
僕たちが心理学やカウンセリングを学ぶのは、そういう固定観念を外していくためです。
カウンセリングを学ぶのって、趣味からはじめたらいいんです。
そこに実益がなくても、楽しく充実した時間を過ごせたら、それでいいと思います。
(楽しく充実した時間を過ごせるように、がんばります~)
実は僕は、実際に陶芸教室に通ったことがあります。
「1回でいいから、ろくろを回す感触を味わってみたい」。そう思っていたのです。
そして、たった2ヶ月でやめてしまいました。
でも、たった2ヶ月でやめたけれども、陶芸教室に通ってよかったです。
だって死ぬときに、「あ~あ、たった1回でいいから、ろくろを回すってどんな感触なのか、味わってみたかったな~」と、思わなくていいのです。
「そういえば、たった2ヶ月だけだったけれど、陶芸教室に通ったことがあったな~。ろくろってテレビで見るとおりの気持ちいい感触だったな~」。
死ぬときにこう思えることって、善き人生にするためにすごく大事なことだと思うのです。
(こういうのを心理学で、デス・エデュケーションといいます。ね?心理学用語が一つ入るだけで、ちょっと面白いでしょ)
それからもう一つ大事なこと。
実際はちゃんと練習していたら、「マイナスに引っ張られる」なんてことは、めったなことでは起きません。
これってカウンセリングをちゃんと勉強したことがあるなら、わかるはずです。
カウンセリングで最初に学ぶ「傾聴」がある程度できるようになれば、「マイナスに引っ張られる」なんてことは、あまり気にしない方がいいです。
(だぶん、これをいう人って、カウンセリングをちゃんと勉強したことがない人だと思います)
もちろん、自分自身が重い心の病にかかっていて、普通の判断力を欠いていると思うなら、いまはカウンセリングを学ぶタイミングではないでしょう。
ちゃんと回復してからカウンセリングを学んだ方がいいと思います。
でも、普通に日常生活が送れているのであれば、あまり心配しない方がいいです。
さて、え~っと、熱くなって長くなってしまいました。
一つ目の理念として大事なことは、うちのカウンセリング教室では趣味として気軽にカウンセリングを学んでもらいたいのです。
「え?カウンセリングを学びにいくの?
それって将来、カウンセラーになりたいってこと?
大丈夫~?
カウンセラーの仕事って、すごくしんどいらしいわよ。
相談に来た人のマイナスに引っ張られて、メンタルが弱いあなたのほうがしんどくなるんじゃない?
それに、資格を取ってもほとんどの人が食べていけないらしいわよ。
それなのにカウンセリングを勉強するなんて、意味あるの?」
でも、これをいわれるとすごく面倒くさいのですよね。
なので、
「いや、いまは趣味でカウンセリングを学ぶ時代になってるんですよ!
そういうカウンセリング教室を見つけたんです。
カウンセリングってどんなものなのか、一回やってみたかったんですよね~」
うちの受講生さんが、堂々とそう言えるようにしたいのです。
なので1つめの理念は、「趣味からはじめる楽しいカウンセリング教室」にします。
2つ目の理念は、「安心・安全で楽しく実技の練習ができること」です。
これはどうしてもやりたいことです。
カウンセリング団体によっては、実技の練習なしで資格を発行しているところも多いです。
僕はそれはそれで、間口が広くていいと思います。
「実技の練習って緊張しそうだし…。まずは自分の場合、心理学やカウンセリングの知識を学びたい」。
そういう人もたくさんいます。そういう人にとっては、それくらい最初のハードルが低い方が、はじめやすいと思います。
でも、個人的には、「ちょっとでいいから実技の練習をやってみると、何倍もカウンセリングはおもしろくなる!」と思っています。
たとえば、料理の本を何百冊読むよりも、たった1回でいいから自分で作った料理を作ったほうが、ずっとうまくなります。
できた料理を自分で食べてみておいしかったら、すごくテンションが上がります。
そして、人に食べてもらって「おいしい!」といってもらえたら「料理っておもしろい!もっと料理をしてみたい!」と思えます。
そうすると、自然と料理について学んで自然とうまくなっていきます。
よく考えたら、料理の知識だけ教えて、実習がない料理教室なんてないですもんね。
なので、うちのカウンセリング教室では、ちょっとでいいから実際に体験してもらえるようにしたいです。
そして、僕自身が実演して見せられる機会を、なるべく多く作りたいです。
ただ、実技の練習については、とても注意しなければいけないポイントがあります。
それは、多くの方から相談を受ける中で、こんな話が多いからです。
「ロールプレイの練習で、指導員の先生からボロクソにいわれたんです…」
「みんなの前で吊るし上げられて、もうカウンセリングはこりごりです…」
「みんなで批判合戦、あら探しをしているような緊張する雰囲気でした…」
こういうつらい思いをして、カウンセリングを学ぶのをやめたという相談がとても多かったんです。
これは残念なことだと思います。
そして、カウンセリングというものを、大きく勘違いさせてしまっていると思います。
(実際、僕も一度だけですが、そういう指導員に当たったことがあります。ただ、こういう指導員はめったにいません。大抵の指導員の先生は、やさしく温かい方ばかりです)
指導者側の意見としては、
「カウンセリングを学んで資格を取る以上、一定のレベルを超えてくれないと困るのよ。
それに、自分が教えるからには、資格試験にも落ちてほしくないわ。
落ちてかわいそうなのは受講生じゃない。
だから、厳しい叱責も愛なのよ。
それに、実際の現場に出たらクライエントに対してカウンセリングをするの。甘えは許されないのよ。
資格を取ったら、明日からあなたはカウンセラー。
もっと自覚を持ってくれないと困るのよ!
だから、厳しく叱責されても、それについてこられるくらいじゃないとダメなのよ」。
まあ、この考えもすべてが間違っているとは思いません。
自分が教える以上、資格試験には落ちてほしくないのは本当でしょう。
そして、資格を取ってカウンセラーと名乗る以上、一定のレベルを超えてほしいというのもわかります。
ただ、残念ながら日本には、資格を取ったあとの就職の面倒まで見てくれる団体はありません。
つまり、資格を取れてもすぐに実践の場に出られる人なんて、ほっとんどいないのです。
それを考えると受講生の立場からすると、
「いや、資格取れても仕事はないんでしょ?
じゃあ、すぐに相談者さんの前に出るわけじゃないじゃない。
それなのに、ここまでボロクソにいわれなきゃいけないの?」
そう思って当然ですよね。
いや、そんなことよりも、僕はこういう厳しく叱責するような態度は、カウンセリングマインドから大きくハズレていると思うのです。
カウンセリングでいちばん大切なのは、あたたかく何をいっても大丈夫な雰囲気づくりです。
僕たちカウンセラーは相談者さんに対して、あたたかかく何をいっても大丈夫な雰囲気で接します。
そうでなければ相談者さんは、自分の内面なんてさらけ出すことができません。
そして、カウンセリングを教える場面でも、それは実践されたほうがいいと思います。
指導員の先生がどういうふうに受講生と関わるのかを見て、僕たちは相談者さんとどう関わるのかを学ぶのだと思います。
なので僕は、一生懸命学ぼうとする姿勢そのものに尊敬の目を向けて、できるだけ受講生のいいところを見つけようとする。
うちのカウンセリング教室では、そういう態度で受講生さんに関わっていきたいです。
(だって、子供と違って大人が学びに来るのは、自分でお金を払っているのです。
それならみんなある程度はちゃんとやる気を持っていると思うのです。
考え方の違いはあっても、お金を払ってやる気がない人なんて、めったにいないと思いません?)
特にカウンセリングの実技は、ロールプレイといって、10人前後のグループでやることが多いです。
それは、ある意味、閉鎖的な空間です。
そしてそこにいる全員が初心者で、指導員だけが経験者です。
そういう状況で指導員がキツイ口調で批判をすると、誰も意見を言えない雰囲気になっていきます。
それどころか、その指導員の雰囲気に合わせて、
「悪いところを指摘して、批判してあげるのが勉強になるんだ」
そう思い込んでしまいます。
すると、みんなが批判的な意見ばかり言うようになります。
自分がカウンセラー役のときに、あまりに手厳しい批判をいわれたら、誰だって傷つきます。
そして、自分でも気づかないうちに、ちょっとした復讐心が出てしまうことだってあるでしょう。
すると今度は、相手がカウンセラー役をしたときに、こちらも必要以上に厳しい意見をいってしまいます。
もうこの悪循環に陥ってしまうと、なかなか方向転換が難しいです。
勉強会はどんどん険悪な雰囲気になってしまいます。
これではカウンセリングがうまくなるどころか、カウンセリングを嫌いになってしまいます。
僕はこういう批判的な考えそのものが、カウンセリングマインドに反していると思います。
初心者がカウンセリングを学ぶとき、みんな自信がありません。
いや、経験者であっても、自分のカウンセリングを他人に見られるのは、すごく緊張します。
それなりにやっている中堅やベテランであれば、少しくらいの批判を受け入れられる余裕があるかもしれません。
そういう人であれば、健全な批判はとても大事です。
でも、経験が浅い初心者やまだ自信を持てていない人の場合、手厳しい批判はただ傷つけるだけになります。
不安でいっぱいのなか、一生懸命やったカウンセリングに批判ばかりされたのでは、傷ついて当然です。
そして、ここで一つ考えてほしいことがあります。
僕たちカウンセラーが相手にする相談者さんは、多くの場合、自信がなくて不安でいっぱいです。
なぜなら、どれだけ普段、強気な人でも、人生の岐路に立ち、悩み、迷っている状態では、自信をなくして不安でいっぱいになるからです。
それを考えると、初めてカウンセリングを学びに来る初心者さんと、実際に僕たちカウンセラーが相手にする相談者さんは、とても良く似ているのです。
僕たちカウンセラーは、初めて相談に来てくれた相談者さんに、
「よく勇気を出して相談に来てくださいましたね」
そんなふうに、相談に来てくれたことそのものをねぎらいます。
それと同じように、初めてカウンセリングを学ぶ人には、
「よく勇気を出してロールプレイをしてくれましたね」
そんなふうに、ロールプレイをしたことそのものをねぎらってあげたいと思うのです。
もちろん、うまくいっていない場合には、
「もう少しこういうやり方のほうが、スムーズに進むかもしれませんね」
ということはあるかと思います。
でもそれは、相手がちゃんと受け取りやすい、やわらかい言葉で伝えるべきだと思います。
馴れ合いになって、ぬるま湯で褒めるばかりなのも、よくないとは思います。
でも、不安でいっぱいの初心者の間、最初の数年くらいは、温かく何をいっても大丈夫な雰囲気が、人を成長させると思います。
「ここの仲間たちの前なら、どんな失敗をしたって大丈夫」
そう思える雰囲気をみんなで作り上げていければ、どんどん新しいチャレンジができます。
そうすれば、あっという間にカウンセリングは上達します。
そしてそれは、ものすごく楽しい学びになるはずです。
なので、2つ目の理念は、「安心・安全で楽しく実技の練習ができること」です。
これもぜひやりたいことです。
僕のところにカウンセリングの勉強をしたいと相談に来られる方の話を聴いていて、
「資格を取ったら終わりで、そのあとどう勉強していけばいいのかわからない」
そういう人がかなり多かったのです。
実は僕自身もその一人で、畠瀬直子先生のKNC(関西人間関係研究センター)に出会うまで、
「資格を取ったはいいもののこれから何を勉強していけばいいんだろう?まさか、あとは全部独学というわけにも行かないし…」
そう思って困っていました。
この理念を考えたのは、うちでカウンセリングを学んだ受講生さんはもちろんのこと、他のカウンセリング団体でカウンセラーの資格を取った人とも、ぜひ一緒に学びたいからです。
僕は畠瀬直子先生のところで、いろんなところで勉強した人が集まる勉強会に長く参加したことが、とてもいい刺激になりました。
資格団体って、どこも個性があります。
でも、ときにそれは「偏り」となることもあります。
安全のために保守的になり過ぎて、不自然になることもあります。
わかりやすさと革新性を求め過ぎて、不安定になることもあります。
う~ん、ちょっと堅苦しすぎますね。
言葉を選びすぎました。
保守的なあまり型に当てはめられては窮屈だし、わかりやすさを求めるあまり過激なエンタメになるのもなんか違います。
あまりに積極的すぎては、危険なカウンセリングになる可能性もあります。
かといって、慎重になるあまり実戦に出られない雰囲気になっては、学んだ意味がありません。
(どちらかといえば、カウンセリングを好きな人はまじめで優しい人が多いので、後者になりがちです)
でも、いろんなところで勉強することで、長所と短所を補うことができます。
なので、いまになって考えると僕自身はいろんなところで学んだことが、すごく良かったと思います。
川の上流にあるゴツゴツして尖った石も、川を流れていろんな場所を転がっていくうちに、角が取れて丸っこい石ころになるのと同じです。
いろんな団体でカウンセリングの資格を取った人が交わることは、とても良いことだと思うのです。
うちのカウンセリング教室ではじめてカウンセリングを学ぶ人はもちろん、他の団体で学んできた人と関わることで、さらに良い化学反応が起こってくれるとうれしいです。
そして、そのためにもうちのカウンセリング教室では、「出戻り制度」を取り入れたいと思います。
(出戻り制度。う~ん、なんとも珍しい言葉です)
うちのカウンセリング教室で学びはじめた人も、ぜひ気軽に他の団体に学びに行って欲しいのです。
そして、そこで学んだことを、「こんなカウンセリングのやり方があって、すっごくおもしろかったよ!」と、また戻ってきたときに教えて欲しいのです。
そしたらそこに、僕も含めうちの教室の人が学びに行くのも、おもしろいと思います。
カウンセリングにはいろんなやり方があって、僕一人ですべてを教えられるわけではありません。(本当に無数にあります!)
カウンセラーにもいろんな考えの人がいて、そのどれもが長所と短所を持っています。
心理学の世界は広く、そして深いです。
僕自身もまだまだ知らないことがたくさんあります。
だから、「これはいいですよ!」とか「この本の考え方は、すごく参考になりますよ!」とか、教えてもらえるとうれしいのです。
なので、出戻りしやすい雰囲気というか、そういう制度にしていけたらな~と思っています。
そのために継続コースは、
「今年は中越さんの所に通ったけど、来年は別のところで勉強してみようかな~」
「他の団体の資格を持ってるけど、大阪茶屋町カウンセリング教室にも行こうかな~」
「久しぶりに大阪茶屋町カウンセリング教室で、練習してみようかな~」
これをアリにしたいと思っています。
もちろん、うちでずっと学び続けたい人は、僕とずっと学び続けてくれたらうれしいです。
「これだ!」と思ったら、一つのところでずっと学ぶのもとてもいいことです。
(僕自身、畠瀬先生のところにずっと通っているし、うちの教室をそう思ってもらえたなら、それは本当に幸せです)
でも、他所で学ぶ機会も奪ってはいけないなとも思うのです。
なんか変なたとえになりますが、ドラゴンボールの悟空って亀仙人のところで修行して、神様のところで修行して、界王様のところで修行しますよね。
ナルトもイルカ先生のところで勉強して、カカシ先生のところで修行して、自来也のところで修行します。
炭治郎も、水柱だけでなくいろんな柱のところで修行しています。
いろんなところで学んだものを自分の中で融合していって、自分なりのカウンセリングスタイルを作り上げていってもらうことが、一番いいことだと思います。
本来、カウンセリングの勉強って、1年通って資格を取れたら終わりとかでなく、ずっと勉強し続けるものなんです。
プロとして実戦に出ている人ほど、ずっと勉強を続けています。
みんながいろんなところで勉強して、また戻ってはその学んだことをシェアしてもらえるような空間になれば、それが一番おもしろいと思うのです。
(そうしたら僕も教えてもらえるので、一石二鳥なのですよ!!)
なので3つめの理念は、「継続して学べる出戻り制度を作っていきたい」です。
とはいえ、出戻り制度というものを他で見たことがないので、「こんな仕組みにしたらいいのに!」というのがあれば、教えていただけると幸いです。
まあ、長々と理念ばかり書いてしまいましたが、カウンセリングや心理学は人を幸せにするためのものです。
そのためには僕たちカウンセラー自身も、楽しんで学んでいくのが一番だと思っています。
そういう教室にしていけるように、受講生さんと一緒に精進していければなと思います。